rio について

はじめまして、エンジニア14年目でラスアスオタクの rio です。

突然ですが、みなさんは「あ、私の人生、今どん底だ」と感じたことはありますか?

私はあります。 パニック障害で電車に乗れなくなり、10年勤めた会社を事実上のクビになり、気づけば手元には400万円の借金……。
「普通の日常」がガラガラと音を立てて崩れていく。
そんな絶望の中にいました。

このブログ 『Flow Life Note』 は、そんな私が人生をもう一度「再起動(Restart)」させていく過程を綴る記録です。

「自分らしい働き方」の模索、借金返済のリアルな道のり、そして、大好きなゲームの事や叶えたい夢の事…。

かつての私のように、心身を削りながら働いている方や、予期せぬ困難で立ち止まっている方へ。「誰かを頼ってもいい、やりたいことをやっていい」というメッセージとともに、私の生存戦略を届けていければと思います。

私がどうしてエンジニアになり、どうやってどん底まで落ち、そして今どこを目指しているのか。 少し長くなりますが、私の「再起動の物語」を読んでいただけると嬉しいです。

私がエンジニアになりたいと思った理由

結論から言うと『カッコいいから!』です(笑)。

私がエンジニア(SE)という職業を知ったのは高校生の頃でした。
当時母が趣味でHPを運用していたのですが、運営することで困った事があるとよくSEの友人に頼っていました。

その方は男性でしたが、母のPCをリモートで操作し、スイスイと問題を解決していく様を見て「すごい!」「カッコいい!」と思ったのを覚えています。
母にその方の職業を聞いてSEだということを知り、「私もなりたい!」「女性の私がなったらめっちゃカッコいいんじゃない!?」という純粋な憧れの気持ちから将来はSEになりたいと思い始めていました。

大学はITを学べる文系へ。

ITやプログラミングといったより専門的なことを学ぶには専門学校の方がいいのかな?という考えもありましたが、やはり4年間大学でしっかり学びたいと思ったのでIT系も学べる大学へ。

一番最初の授業がC言語だったのですが1ミリも理解できなかったのを今でも覚えています。
やっていて一番たのしかったのはWebサイト作りでした。
初めてHTMLを触って自分が書き上げたコードがブラウザ上にできあがっていくのは嬉しかったし、とても興奮しました。

ゼミでは卒論として論文とは別にゲームを制作しました。
確かVisual Studioを利用してインベーダーのようなシューティングゲームを制作したのですが、もうちんぷんかんぷんわからなさすぎてほとんど教授に手伝ってもらったのはここだけの話。

就活は

  • 職種はSE
  • 東京に住みたい!(無理なら都会のどこか!)

といったシンプルな軸で就活。
地元が田舎だったので都会に漠然とした憧れがありました。
大学3年の秋頃から就活し、福岡、広島、大阪、横浜、東京、と全国を日帰り新幹線で面接やセミナーに赴いていました。
パンプスを3足履き潰し、おかげで大学4年春の早い段階で内定をもらうことができました。

新卒で入社した会社で心身共にボロボロに

入社は地元から遠く離れた横浜にある独立系sierの会社。
同期はみんな学生の頃にプログラミングの基礎を学んできた人ばかり。
研修でJavaを学ぶ授業がありましたが全く付いていけず研修担当に詰められて泣いてしまった日も…。
研修期間3ヶ月の時点でもう辞めてしまいたい気持ちでいっぱいでした。

配属先では開発を自社内で、リリースを客先で行っていたのですが残業+夜勤でかなりハードでした。
プロジェクトチームの中で女性は私一人
教育係の人とも馬が合わず、人間関係で苦労しました。
社風も合わず、IT企業なのに「THE☆昭和」な感じで詳しくは書けませんが「これって私がやる仕事???」な事が多くストレスばかりの毎日でした。

その結果、元々学生の頃から婦人科系のトラブルがあったのですが、生理不順で出血が止まらず体力も精神も限界に…。
(生理休暇が一応あったのですが、「事前申請」という意味不明な規約でした。さすがおじさんだらけの会社(生理休暇の事前申請ってなんやねん。。。))

JavaやLinuxコマンドも中々理解できず覚えられないし、私ってSEに向いてないんだな…。
いっそ別の職種、業界に転職してしまおうか…。
そう思ったのですが、「高校生からの夢」「大学での学び」「就活の努力」…。
この数年間の想いや努力をたった1社の経験で諦めて棒に振ってしまっていいのか。

いや、やっぱりここで諦めきれない!
私は転職を決意し、1年半で退職をすることとなりました。

自社開発の上場企業に入社。社内ツールの開発を行う

ここの会社での勤務が一番長く勤続10年でした。
各ツールの改修を1人1案件といった感じで製造とテストを行っていました。
ここの会社でようやくJava、JSP(HTML/CSS/JavaScript)、SQLを利用したWebアプリケーションの開発を理解し、基本的な技術を身に付けられたと思います。

一瞬だけAndroidのアプリ改修にも関わりましたが、もはや記憶の彼方(笑)。
外部のお客様が利用する管理画面の改修を行うこともあり、営業とのやり取りではコードや専門用語の知識がわからない人相手でも、改修内容についての相談や説明をするというのが苦労しました。

元々話下手なのもありますが「どう説明したらいいか」「なんと言い換えればいいか」。
考えていると中々言葉が出てきません💦
コツコツ開発作業をするのは好きですが、いまだにこういった人前での説明は苦手です。

とはいえ特に大きな問題もなく、順調にお仕事をこなしていっていました。
福利厚生の充実や昇給、年2回のボーナスとまさに安定した毎日を過ごしていました。

突然のパニック障害

コロナも落ち着いた頃。
フルリモートだった勤務が週2出社になりました。

普通のなんて事のないある日。
会社の福利厚生であるマッサージを受けていた時、急に気分が悪くなりました。
体調も特に悪くなかったし、生理とかでもなかったのに。
施術時間いっぱいベッドで休ませてもらってその後業務に戻りました。

退勤時間になりフロアのエレベーターまで歩いていく途中、なんだかふらふらっと眩暈のような感覚。
マッサージしてもらったから?でも今までこんなことなかったのに…。
そのままエレベーターに乗ったのですが眩暈に加えて軽い吐き気とバクバクとすごい動悸が。
「え、なんで、急にどうしちゃったの!?はやくっ…はやくエレベーターを降りたい…!」

エレベーターを降りた後も私の気分は良くならず、地下鉄で通勤していた私は駅の方に向かっていたのですが「これ、もしかして電車に乗れないかも…」、と。
地下へ向かう階段を降りる時もずっと気分が悪く、心臓がバクバク。
改札前まで辿り着いたのですが、周りの人に迷惑をかけてしまうかもしれないと思うと怖くて乗ることができませんでした。

それでも家に帰らないといけないので「なんとか帰らないと…!」と思考を巡らせて、徒歩15分先にある地上線の駅に向かうことに。
地下鉄よりは閉鎖空間じゃないからこっちなら乗れるかも、と思ったのです。
改札をくぐりホームに入ることはできたのですが、電車に乗ろうとすると動悸と冷や汗、吐き気が襲ってきて電車に乗れず。
始発駅だったので満員電車とかではなかったのですが、それでも乗れませんでした。

結局2時間ほど粘ったのですがこのままだと明日の仕事に支障が出てしまう、と思ったので電車は諦めることに。
かといってタクシーは閉鎖空間過ぎて無理。
家族も友達も遠い遠い地元にいるので助けに迎えに来てくれる人もいない。

結局小雨降る中、深夜に徒歩1時間半かけて自宅へ帰ることに。
家に着いた時の『絶望感』が半端じゃなかったです。

『当たり前』がなくなった日常

それから電車に乗れない、コンビニに行けない、列に並んでじっとできない、歯医者や美容院に行くのも怖い、という今まで普通に送れていた日常生活が送れなくなりました。

この頃から『何のために生きるか』『誰のために生きるか』というのを考えるようになりました。
まず『自分を一番大事にする』と決めました。
そして『嫌な事を手放し』『やりたいことをやる』ということ。

まず嫌な事を手放しました。
数年程美容系のアフィリサイトとSNSを運営しており、元々は副業としてのお小遣い稼ぎと興味があった美容で運営当初は楽しくやっていたのですが、この頃は仕事との両立でうまく回らず、毎日仕事終わりにする『苦痛の作業』として嫌々やっていました。
それをスッパリやめて、運営サイトとSNSアカウントを消しました。

そしてパニック発作になって電車に乗れなくなってしまったことで、今まで通っていた美容院や美術館へのお出かけなど『行きたいところに行けなくなった』ことがたまらなく嫌でした。
なので一人で電車に乗る練習をしに行きました。
その時はまだメンタルクリニックにも行っておらず頓服薬も服用していなかったのでかなり無茶をしたなと自分でも思います(しかも地下鉄)。
でもこのまま一生引きこもり生活は嫌だったので、まずは「改札をくぐれるようになる」 ⇒ 「ホームにまで行けるようになる」 ⇒ 「混雑しない時間帯の都心方面じゃない電車に乗る」 といった感じで段階的に慣らしていきました。
今では普通の電車には薬なしで乗れるようになりました😊

そしてやりたいことをやる。
私は物心付いたころからゲームをプレイするのが好きで、学生の頃はゲーム実況の動画を見ていたりして、いつか私もゲーム実況をやってみたいと思っていました。
死ぬまでにやりたいことの一つと言ってもいいでしょう。
それを始めることにしました。
私は割と興味を持ったらすぐ飛び込む・始めるタイプなのでゲーミングPCの購入、実況環境構築、各種アカウントの開設、動画編集ソフトの購入などを一気にやりました。
配信の時はパニック発作と緊張ですごくドキドキしたのを覚えています。

私のゲーム実況アカウント

「会社に出社できないなら…」事実上のクビ宣告

パニック障害になり週2出社ができなくなったので、メンタルクリニックで診断書を書いてもらい3ヶ月間フルリモートをさせてもらえることになりました。
しかし3ヶ月が経とうとするころ、メンタルクリニックにも診断書を書いてもらうのが難しくなり(色々制約があるみたいで)、まだ日常的に電車に乗ることが難しいためフルリモートをさせてもらえないかと人事にお願いしました。

しかし「週2出社は絶対」「診断書がないと認められない」と言われ、
「出社が難しいなら別の会社で…」

いわゆる事実上のクビの宣告を受けました。
ちなみに出社しなければならない理由はありません。

少し話はそれるのですが私はずっと疑問に思っていて、リモートでこなせていたことをなぜわざわざ出社してやらないといけないのか理解ができません。
むしろ電車通勤がない、自分時間をたくさん確保できるので生産性は出社よりあがります。
ほんとに日本人って無意味なことに時間を割くのが好きだなぁってつくづく思います。
働き方ぐらい自分で選択できるようになりたいですね。

借金400万近く抱え債務整理

会社クビが確定した後、有給消化を利用して2ヶ月ぐらい猶予期間があったので、その間に何とか次の職を探さないと!とすごく焦っていました。

転職活動の傍ら、やはり会社員としての給料だけに収入を頼るのは危ういな、と実感した私は何か副業ができないか考えました。
ネットビジネスの講座・コミュニティ、占い、スピ系など自分の興味のあるオンライン講座に片っ端から入会していきました。
大体オンライン講座の相場って30~50万ぐらいなんですけど、それを複数のクレカ分割払いで支払ってたんですよね。

毎月の支払う金額が数万円になるから「まだ大丈夫」「他の講座も受けられるかな?」と思い、それがどんどん積み重なって気づけば400万近くの借金に。
給料はほとんど借金返済に消え、口座の残高は毎月1000円以下。

こんな感じで。

そして生活費を賄うためにカードローンでお金を借り、一向に借金が減らない無限地獄ループへ。
自分の生活を良くしようと自己投資したのに、こんなに苦しい目に合うなんて…。
「これはもう私一人の力じゃどうにもならない…!」と思い、司法書士事務所に債務整理をお願いしました。
パニック障害を経験した時、「一人で解決しよう、何とかしよう」と奮闘していましたが、誰かを頼っていい、助けを求めてもいい、我慢しなくていいって思えたから。
外側に助けを求める行動を起こせました。

債務整理のおかげで今の借金(2026/2 現在)は約210万円。
各カード会社に合計44,000円の返済をしています。
生活も立て直すことができて、ようやくメンタルも余裕がでてきました。

赤線は2026/2 の返済振り込みを終えた印。
繰り上げ返済を行わないでいくと5年ぐらいの返済計画です。

これからの私…

「自分の気持ちに嘘をつかない」

今までの私は自分の本当の気持ちを押し殺して無茶をし、身体や気持ちを酷使してばかりでした。
でも今は昔より自分に対して優しく、素直になれたように思います。

これからは、エンジニアとして働きながら、このブログを通して「どん底からの再起動(Restart)」の過程をリアルに発信していきたいと思います。

まずは借金を完済すること。
パニック障害と上手に付き合いながら、自分らしい働き方を確立すること。
今はフルリモートだからある程度は叶えられてるかな。

そしていつか、パニックを乗り越え、飛行機に乗って、大好きなラスアスの舞台であるシアトルへ聖地巡礼に行くこと。

最近ガッツリではないけど英語学んでみたいな~欲がフツフツと湧いてきてるんですよね。
でも目的のない学びよりはあった方がいいよなー、と思った時にシアトル聖地巡礼が思い浮かびました。
同じゲーム好きの仲間と行けたらさらに最高だよね!
それが今の私の、大きな目標であり夢です。

もし今のあなたが過去の私のように「もう無理かも」と立ち止まっているなら、 私の不器用な再起動の記録がほんの少しでもあなたの心の止まり木になれたら嬉しいです。

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